全国各地に似通った地名や愛称は少なくない。中でも活気ある都にあやかって繁栄を願い、「○○銀座」と名付けた呼び名は、全国に450か所もあるという。
同じように東京の有名な地名を拝借した駅前の「有楽町」は、国道188号の裏筋、現在のYMCAや郵便局がある裏手の通りにある。
60年代。中通りや本通りの商店街がアーケードを建設し、日の出の勢いで発展を遂げているころ、両商店街に隣接している狭隘な道に面した商人も、声高に通りのアピールに努めていた。そうして生まれたのが、駅前の「有楽町町内会」だったのだろう。
洋品店など物販店が多い商店街にくらべ、有楽町には飲食店が目立っていた。小料理店、焼き鳥、寿司など、各々が専門にかけてこだわりを持つ、キラ星のような店々がひしめき合う通りだった。
有楽町と中通り商店街が交差する場所に、当時から私の店はある。
商人の家に生まれ、駅前っ子として育ったので、この辺りはまるで庭のような場所であり、学校から帰るや、一目散に家を飛び出し、夜が更けるまで歓楽街で過ごしていたのだ。
けれども、有楽町というからには決して子供向けの店などほとんど見られず、スタンドバーやビリヤード店など、むしろ夜の大人が集う所がたくさんあって、そうした場所にスリルを感じていた幼少の頃だった。
駅前の悪ガキだから近所のバーテンダーにも顔を覚えられる。
「おう、坊主、ジュース飲むか?」なんて話しかけられては、お客のいない開店前の薄暗い店内へ通してもらい、身の丈ほどあるカウンターの椅子によじ登って、奇妙に艶っぽいグラスで飲むジュースは、なぜか駄菓子屋のそれとは違う味がした事を、今でもときどきショットバーの片隅で思い出すのである。
時代は流れ、駅前の歓楽街はその中心の場所を移し、現在では有楽町と呼ぶ人も少なくなった。それでも街の一角を占める立地だから、宝石店、ブティック、お好み焼き店など、新たな店の開店も多い。
つい先頃、広告看板灯が老朽化のために有楽町から撤去された。残された街灯の柱を見ると、保守のために塗り重ねられたペンキの下に数十年来のキズが見られる。もの言わず夜の有楽町を照らし続けてきたのだなあ。
(文・ふじたのぶお)
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