商店街は近年、都会的な街の記号を備えるようになった。安らぎを与える街路樹や、美しい形状の街路灯がある。しょう洒な店構えが連なり、ファッショナブルな人々の歩く姿が見える。
使い古された物を捨てる一方で新しい感性を採り入れ、少しずつ新陳代謝を繰り返して、便利な機能を持ち、格好の良いていさいを整えていく。都会化の記号は、どこの街でも見られる共通のものごとだ。
その中には「効率」を求める進化もある。それまで人を介して得ていた物や事は、時代と共に自動化され、やたらと便利になった。欲しいと思う物があったら自動販売機が応答してくれる。たとえ真夜中でも様々な生活用具が手に入れられる至便なお店も増えた。都会化は、きっと暮らしのレベルを向上させているのだろう。
各地の調査事業によると、しかし市民が思う「住みやすさ」は、決して褒められた評価が成されていないという。
人と人の接点が希薄になり、事故や犯罪が増加する。向こう三軒両隣なんて、いまや街の中では考えられなくなっているようで、むしろ過疎に悩む地域のほうが人に優しいコミュニティを保っているのだから、都会化とは皮肉な事だ。
「ふれあい」なんていう言葉は照れ臭い今の時代だけれども、携帯電話があたりまえになり、インターネットが普及し、いつでもどこでも自分のプライバシーを主張できる社会に、果たしてどんな未来があるのだろうか。
せめて、あいさつだけでも励行できたらいいなあ。
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