洋服の業界では、晩冬から早春の狭間を梅春(うめはる)という。古く、隅田の春を語った素浄瑠璃(すじょうるり)「梅の春」に由来するのだろうか。とにかく人は、長い冬を過ごすと、一日も早い春の訪れに期待をかけるようだ。
山里とちがって街には自然の草木が少ないせいか、季節のうつろいを風景から感じとることは少ない。
アスファルトやコンクリートで固められた道、建物などは一年中変化が無く、無機質な表情を保つ。公園の桜と街路樹が花をつけるが、これらとて新芽が出るまで、ほとんど気に留められることはない。
ところが商店街を歩くといまどきは、バーゲンの張り紙をしたブティックの傍らに、季節を先取りする梅春の洋服が、軽やかに飾られる。やがて店先には各々、店主や女将さんの気遣いで優しい色の花が生けられ、春の便りは少しずつ街に届けられる。
割烹店の間口に旬を迎える食材が知らされ、いつもと違うランチの献立にちょっと贅沢を思いながら、街では季節の変化を感じるのだ。
駅前に少しで良いから森があったら、人々はもっと憩いを得ることができるのだろう。
鉄の自動車と鉄筋のビル、激しいネオンと目立つ色の自動販売機。おおよそ皆が身勝手に主張する人工物に囲まれた街だからこそ、あたりまえに培われる土や樹木が懐かしくなる。
都市部に必要なのは高機能ばかりでなく、もっと有機的で人間臭い物事なのかもしれない。どことは言わないけれども、相応しい場所がないかなあ。
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