年の瀬となれば街には、家路を急ぐ人がコートの衿を立て、気ぜわしく雑踏を行き交う姿が見られたものだ。商店街では歳末商戦が始まり、売り出しを告げる威勢の良い声が、あちこちから聞こえていた。
けれども近年では、人々の暮らしは少し姿を変え、師走の有様はとりわけて言う事でもなくなってしまったようだ。歳末の風物のように催していた福引きは不振にあえぎ、店頭の特価品に群がる人の姿も疎ら。一年のしめくくりを迎える、かつての風景はほとんど無い。なにが変わったのだろうか。
物が豊かになり、十二月だからという特別な動機が薄くなった。生活用品に限ってみれば、いつでも何でも手に入れられる便利を誰もが得た。まだある。
核家族化はさらに進み、個族という造語まで使われるように、人の暮らしの単位は、ますます細分化され、親と子でさえ、異なる情報ソースに頼って毎日を過ごす時代である。
こんな現代人の姿は、必ずしも素敵とは思えないが、テレビや雑誌、インターネットなどの情報伝達経路が発達するほど、暮らしのパーソナル化は進むにちがいない。商店が集う街のあり方も、時流に合った変化が望まれているのかもしれない。
ところで最近では、忘年会といって声がかかり、三日とあけず赤と緑のクリスマス色で装ったまま、夜の駅前へ赴く。しかも、それは自転車にまたがって、キコキコとペダルを漕いでは、歓楽街を目指すのである。
静かな住宅街から闇に目を凝らして漕ぎ進めると、見えてきた夜の街は、きらびやかなネオンが光を放ち、おおよそ人と車に埋め尽くされている。なかなかどうして、そこには今もなお立派な師走の街があった。乾杯。
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