そのお店は今出来のファーストフード店だったが、ほどよく落ち着いていて、とても居心地の良い場所だった。数歩と離れていないところには、どこの街でもよく見かけるブランド店が見えていたけれど、何とはなく、小さな入り口のドアを押して入った。
カントリー調の制服を着た女の子が、手際よくカップを運んでくれた二階の窓から、秋葉原の街を眺めて、しばしを過ごした夏の昼下がり。待合いの時間に訪れた繁華街の一角だった。
それから二ヶ月と経っていない十一月。仕事の向きがあって、再び秋葉原へ赴いた。そして同じように一杯の珈琲を飲むために、かつての店を目指して歩いた。
ところが、となりの店には行列ができていても、目当ての店が無い。わずか二ヶ月の間に閉店してしまったようだ。さほど遠くない場所にあったコンビニにも、また同じように閉店を示す張り紙がしてあった。街ゆく人は、おおよそ気づかぬそぶりで見向きもせず、華やかに飾られた店に吸い込まれていくばかりなのである。
秋葉原といえば、電気街と異名をとるほど有名な街で、いまさら説明の必要もないのだが、家電やパソコンの販売は言うにおよばず、どんな商人にとっても、まさに生き馬の目を抜く激戦区。店舗の入れ替わりは日常茶飯事であり、その速度と数は、岩国の数十倍にも等しいと思われる。比べたって、せん事なきは分かっていても、街の活気は店の新陳代謝が生み出すものと痛感した、都会のひとときだった。
でも、いつものお店が、いつものようにある街が好きだなあ。
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